Weike Wang 'The Trip'

The Trip

中国で生まれ、幼少期にアメリカへ渡ってきた妻に連れられ、中国へツアー旅行に来た主人公。あらゆる都市をめぐり、あらゆるものを食しながら旅行は続くが…。

ChemistryOmakaseのWeike Wangによる新作短編。

食べ物、ツアーのキッチュさ、アメリカの母からの執拗な連絡に文字通りfed upな主人公は、それでも黙々と、与えられた課題をこなすように時間を耐えていく。それに対して、「中国語は幼児レベル」といとこにバラされ、身の置き所がなくなってしまう妻。実際にはそうではないのにABC - America-born Chineseと揶揄される妻は、ABCにも「中国人」にも身を寄せることができない。こうしたカテゴリとカテゴリの間に落ち込んでしまう人間を、作者はこれまで同様実に巧みに描いている。狭間に落ち込んだ妻を気にかける主人公は、彼女を引っ張り上げる術を持たない。トイレにこもり、食べ物やツアーや母からの攻撃に耐える以外のことができない。
そしてラスト。これをどう読むかに、この作品のほとんどすべてがかかっている。といっても別に複雑なものではなく、妻が主人公と一緒にアメリカへ帰国することを静かに拒否し、中国に残って中国語を学び、ツアーガイドを目指すことにする…というものにすぎない。なんだか非現実的で、どこか逃避的な行動のようにも見える。しかし時間をかけて反芻すると、なんともユニークな結論であるようにも思えてくる。

ツアーガイドとは何か。

Their tour guide was Felix. Like Felix the Cat, Felix said, and he replied, O.K.

何度も繰り返される上記のような空疎なやり取りによって、それはまずキッチュなものとして読者に提示される。しかも、土産物よりもさらにキッチュなものとして。なぜなら、土産物は少なくとも現地の風土や物産を(形だけにせよ)反映させようという意図を含む商品だけれど、この小説の中のツアーガイドは、もはや”中国”とは関係なく、かりそめの同行者としてなんとなく「親し気なポップカルチャー感」のみを観光客に与えようとするからだ。誰の目にもそれが表面的であることは明らかなので、主人公はそれに対して、O.K.とかSureなどと言うのみで、関係を作っていこうという気を起こさない。ツアーガイドは仮想的な観光世界の中の、言ってみればアバターのようなもので、中に何があるかには誰も興味がないし、関係を結ぶ対象にはなりえない。言い換えればふつうの観光客にとっては、ツアーガイドとはせいぜいが「レンズ」であり、その先の観光空間を覗くための必要最低限の機能と親しみのみが求められる透明な存在にすぎない。だから正確に言うと、ツアーガイドはキッチュなものとしてさえ読者の目には入らない。見えない存在として、中国の食と風景の向こうに合図もなく消えていく。
しかし、妻は主人公の知らぬところで、このツアーで出会ったツアーガイド(そして他の観光客)と「SNS上でともだち」になっている。そして自分もツアーガイドになると言う。この時点でやっとツアーガイドそのものを読者(と主人公)は認知するわけなので、なおさら驚きと恐れは強まる。そうした、一種のミステリの伏線として、この透明さが使われている、とも言える。

そして同時に、透明な存在とは本当に透明なのか、ということも考えなくてはいけなくなる。それは、「~でもなく、~でもない」という二重否定(つまり似非ABC)の中で苦しんでいた妻が最も得たいもの―「~である」ではなく、「~ではない」でさえない、まったき透明さだったかもしれない。しかし一方で、 Felix the Catは Felix the Catとして存在している。つまり虚構の形をとったひとつの現実というやつで、ツアーガイドはある種の人々にとっては現実そのものでもある。妻は透明さの中に消え失せていくようでもあり、また同時に、SNSというこれまた虚構の形をとった現実の中で確かに生きていくようでもある。いずれにしても確かなのは、しばらく中国にいれば彼女の中国語もまあ聞けたものになるだろう、という妻のいとこの言葉がどこか空疎に響くということで、まず主人公にとってそんなことは問題ではないのだが、実は、妻にとってもそんなことは問題ではない。中国人になるということが答えではないし、中国語が喋れるようになるということが解決策でもない。ツアーガイドになるという彼女の選択は、そうした「いくつかのカテゴリと、それ以外」のレイヤーそのものから脱出しようという試みであり、それがある瞬間には消失にも見え、ある瞬間にはこれ以上ない(画面上の)手触りをもった存在にも感じられる。これはそういう、いくつかの二重性、だぶり、ぼやけ、ぼかし…をめぐる話だと思う。こんなものを書いてしまう作者の力量は、過去作を読んでいる者にさえ衝撃的。

ちなみに、「ワイキー・ウェン」のほうが英語の発音には近い。第一作で新潮社がつけた「ウェイク・ワン」はほぼ誤訳と言ってもいい気がする。人名の訳は難しい。