やる気因子の重み付けをする

「できる」「すべき」「したい」/can, should, wantが揃うとモチベーションが湧いてくる、という話をたまに見聞きするが、それが仕事でも家事でも、その他のなんの活動でもいいのだけれど、何かをやろうとするときにモチベーションが問題になるのは大抵、当の人間がモチベーションを感じて「いない」ときである。この、やる気を感じるときと感じられないときがある、ということについて、少し考えてみたい。

まず、自分自身が手応えを感じていない状況について考えてみるが、“I can do it”, “It should be done”, “It’s worth it”の3つがすべて揃っているというのは、誰にとってもレアなことのように思う。大抵の場合、どれかはあって、どれかはない。たとえばAという作業について、これまでの自分の経験から、やればできることはわかっている。けれども、やる価値をどうにも感じられない…ということは多い(e.g. 運動)。あるいは、統計的にBをやれば生産性が上がることはわかっているし、生産性が上がることには価値も感じる。けれども自分にはどうしてもできない…ということもあるだろう(e.g. 早寝早起き)。
だからといって、3つ揃っていないと何事もとりかかれない・達成できないということはない。人生はもう少しambiguityに満ちている。ここで考えたいのは、「人によって、何があればやる気を出せるかは異なっている」という事実だ。

たとえば、Cに価値を感じられれば、その瞬間Cをするスキルがなく、Cを支える理論やデータも知らないとしても、とにかくやりたくなり、実際にやってみる、という人がいる(worth)。あるいは、特に積極的な価値を強く感じているわけでもなく、理論も知らないが、できるから、という理由で何かにとりかかる人もいる(can)。とにかく義務だからこれをやるのだ、という人もいるはずだ(should)。
自らのやる気に対してどの因子が最も強く働くかは、相当な個人差があるし、この「やる気因子の重み」というのは、各行動のカテゴリによってもわりと異なるはずだ。たとえば、自分自身の勉強なら何でも、やりたいと思っただけでどんどん手が出せるけれど、こどもに対する教育に関してはむしろやるべきだからやるのだと考えている、といったケースだ。単純に10ポイントを割り振る(数字が大きいほどやる気に直結するとする)として、この場合、勉強においてはたとえばcan-2, should-2, worth-6、こどもの教育はcan-2, should-5, worth-3みたいに表現ができるかもしれない。
だから、まず自分自身のやる気の現状を把握するには、自分がやる気を出したいカテゴリにおいて、今現在どのタイプであるのかを認識することが大切だ。その上で、「このツボを押せば自分はやる気が出る・前に進める」というポイントを着実に押さえていく。

また、この重み付けは、先天的な部分と後天的な部分、両方あるように感じる。周囲の人間のリアクションや助言でやる気が形作られていく(あるいは逆に、やる気を削がれていく)というのはよくある話だ。それが積み重なることで、次第に自分の中の重み付けが変化していき、「自分はここを押されるとやる気が出る」という意識が出てくるのではないか。
重み付けの変化に年齢的なリミットがあるのかどうかはよく分からないが、「大人になってから、それまで感じたことのないタイプのやる気が湧いてくる」というのは個人的にも”ある話”なので、わりといつでも更新できるのではないか(その時々にフィットする、自分に対するナッジを見出だせるのではないか)、という希望を持っている。

こんなふうに、自分の「やる気因子の重み付け」を意識することができれば、他人との付き合い方にも活かせるような気がする。たとえば一緒に働いている人がいまいちやる気を出せていないとき。パートナーが手応えを感じていなさそうなとき。「自分はこんなにやる気があるのに、どうして?」とつい思う。それが積み重なると、相手にそもそもやる気を起こす気がないのではと考えるようになってしまう。けれど、自分が手応えを感じていて、同時に相手が手応えを感じていないということが有り得るのだ、と考えられれば、そんな心理状態からは抜け出すことができる。
単純な話だが、他人とうまくやっていくためには、けっこう大事なポイントじゃないかなと思っている。